メッセージ
服よ、働け。
寅壱という社名は、江戸時代、日本の経済の担い手として栄えた大阪と蝦夷地を結んでいた北前船の「寅一丸」が由来とされています。 当時は積み荷を満載して一度の航海で、千両、今でいうと1億近い利益を得ることができました。
見習いとして乗り込んで、身を粉にして、働いて、やがて船頭にそして船主へ。自分の才覚と努力で一国一城の主になって見せる。 「寅一丸」にもきっとそんな野心溢れる若者たちが乗り込んでいたことでしょう。
そして今、寅壱は自らの肉体を使って働く人たちのための、ワーキングウエアの会社として成⻑を続けています。
私たちのものつくりは徹底して、働く人たちのことを考えることから始まります。
何よりも丈夫であること、そして安全であること、ポケットの位置や深さ、ファスナーの有無など本当に細部にわたり職人の方の使いやすさを追求します。
繊維の種類、裁断、縫製の工夫。
考えることは、気の遠くなるくらいたくさんあります。
こうした徹底した機能性の追求のほかに私たちが大切にしていることがあります。
それは個性的であれ、と言うこと。自らの技術と経験に誇りを持つ職人たちは自分たちのスタイルを大切にします。
斬新なデザイン、目を見張るようなカラーリングも、腕ひとつで世の中を渡っていく彼らの矜持に応えるためのものです。
最近は海外でも、 私たちのウェアを街中で着ている人が増えています。
磨き上げられた機能美と個性的なデザインが支持されているのかもしれません。
エアコンの効いたオフィスではなく、屋外の過酷な環境で職人は働いている。
ならば寅壱のウェアも、彼ら彼女たちに寄り添いながらその機能性で精一杯、働いてみせます。
見習いとして乗り込んで、身を粉にして、働いて、やがて船頭にそして船主へ。自分の才覚と努力で一国一城の主になって見せる。 「寅一丸」にもきっとそんな野心溢れる若者たちが乗り込んでいたことでしょう。
そして今、寅壱は自らの肉体を使って働く人たちのための、ワーキングウエアの会社として成⻑を続けています。
私たちのものつくりは徹底して、働く人たちのことを考えることから始まります。
何よりも丈夫であること、そして安全であること、ポケットの位置や深さ、ファスナーの有無など本当に細部にわたり職人の方の使いやすさを追求します。
繊維の種類、裁断、縫製の工夫。
考えることは、気の遠くなるくらいたくさんあります。
こうした徹底した機能性の追求のほかに私たちが大切にしていることがあります。
それは個性的であれ、と言うこと。自らの技術と経験に誇りを持つ職人たちは自分たちのスタイルを大切にします。
斬新なデザイン、目を見張るようなカラーリングも、腕ひとつで世の中を渡っていく彼らの矜持に応えるためのものです。
最近は海外でも、 私たちのウェアを街中で着ている人が増えています。
磨き上げられた機能美と個性的なデザインが支持されているのかもしれません。
エアコンの効いたオフィスではなく、屋外の過酷な環境で職人は働いている。
ならば寅壱のウェアも、彼ら彼女たちに寄り添いながらその機能性で精一杯、働いてみせます。
代表取締役社長
村上 國治郎

PROFILE
会社情報



会社概要
会社名 | 株式会社 寅壱 |
---|---|
本社 | 岡山県倉敷市児島下の町1-11-32 |
東京支店 | 東京都千代田区神田東松下町31番地1 |
設立 | 1959年 |
従業員 | 70人(国内) |
関連会社 | 株式会社寅壱ビッグタイガ(寅壱直営店) |
主要取引先 | 全国協力小売企業約600社 |
主要銀行 | 広島銀行児島支店・香川銀行琴浦支店 |
会社沿革
1959年 | 村上被服本店として起業。主に作業ズボンとジーンズの製造から始まる |
---|---|
1966年 | 鳶作業服(装束)業界に参入。製造と販売を行う |
1968年 | 児島縫製センターに移転 |
1984年 | 直営第一号店「VIC TIGER 寅壱ビッグタイガ八代店」オープン |
1986年 | 株式会社に組織変更。株式会社寅壱を設立 |
1988年 | 本社を現在の倉敷市児島下の町1丁目11-32に移転 |
1992年 | 本社物流センタービル完成 |
1994年 | 中国で提携工場による生産開始 |
2010年 | 公式オンラインショップを開設 |
2018年 | オウンドメディア「Toraichi Concept」開設 |
2019年 | ストリートアパレルライン「Toraichi Archives」開設 |
2024年 | 外部提携倉庫と連動をした「寅壱オンラインストア」開設 |
2024年 | 東京都千代田区にて、ショウルーム「寅壱神田」オープン |
ACCESS
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